新・合氣交流録 『武産』
「満喫編書くだろ?」
「・・え?」
「満喫編書くべ」
「書きます。」
2022年10月。数年ぶりの、おそらく内田先生の結婚式以来の合同稽古にお邪魔した際、最終日の焼肉牧場大会の席でそのやり取りはあった。
坂谷さんが2022年末に感想文を書き上げた際、それを呼び水として蘇ってきた記憶である。
当時かなりご満悦で酩酊状態だったのんぶ。
きっと前述の返事をした時点では、それなりのスペック(私的基準)で頭を働かせ、“出来なくもない気がする“と判断した結果、「書きます」と返事をしたはずだ・・・
ということはほわっと想像できた。
しかしそれならば、最早年末というこのタイミングで書き始めるのは遅すぎやしないか?
旬が過ぎてやしないか?
そもそも・・・記憶が・・・(。-`ω-)

内田先生の道場にお邪魔するようになって既に干支が一回り以上する歳月が過ぎた。
備忘録の意味合いが強かったが、毎回満喫編を執筆し、余裕があったわけではないのだが、ただ今現在に輪をかけてヘタレだったのんぶは、「満喫編」と「とほほ日記」を併筆していた。
割とどちらもヴォリュームがあった。
その後、世の中みんなが同じように時を重ねていく中、無意味に年をとった結果、仕事もプライヴェートも思うように時間が作れなくなり、はや数年満喫編執筆に至っていない。
挙句の果てに地球がコロナ禍に入り、所謂社会的体裁という同調圧力に屈した職場や地方自治体のルールにより、「県境を越えてはいかん」というおふれが出たため、更に岡山は遠くなっていった。
共同体にも良し悪しがある。
ゴートゥーキャンペーン最中であれば新幹線は半額である。
1回行く費用で2回行けるのだ。なんだそりゃ?最高じゃないか。でもなんで俺は行けないんだ?そんな風に何度思ったことか。

たまたま隙間時間にありつければ、月に数回程度フェイスブックを見れる機会に恵まれる。
そこに最新の情報や、それに類する”ひょっとしてみんな次の次元に行きかけてるんじゃねえか・・・“的な情報を見て取れることがある。
ジレンマだ。聴けば聴いたで嬉しくも助かるであろうが、合氣道である。
触れてなんぼ。かかってなんぼの合氣道である。
このままが続けば、恐らくこのもどかしさは更に強まることであるだろう。

ある夜、坂尾さんから電話をもらった際に、臂力の養成について「とにかくすごい。」「信じるしかない。」と熱く語られたが、その時に「我々は遊び稽古をそれなりにやってきているから握りが自分が思うより上手くなっているはずなんですよ!」と言われた。
が、しかし。
“握りが上手くなっている”とは自分自身到底思えないのである。
それほど遅れている実感と、稽古も鍛錬も全てが足りていない実感があった。
そもそも稽古の絶対量が足りていない。
コロナの影響も多分にあるが、道場の閉鎖や関係者罹患の影響などが重なり、しかも日本最古の道場である水沢道場は老朽化の影響により不具合があるたびに使用禁止になる状況。
もちろん独り稽古はする。するのだが、正しい形と言えるもの、その時点で自分の中で最新であるものだけに特化した稽古である。
間違いを間違いと気づかず100回やれば、間違った形を100回体に刷り込んだことになる。
かつてのんぶはそう言われた。だからこそ指導者は間違いを正す必要があり、間違いに気づかなければいけない。そんな言い訳がましい状況で培ったものが、到底諸道兄の“それ”に及んでいるはずもなく、ひたすらもどかしさだけが膨らんでいた。
そもそも断片的な情報で理解できるレヴェルの浅さではない。薄くない。
1を以って10を知る以前に、初発の考え自体が間違っている可能性を秘めている。
言葉の印象から、字面から受け取るイメージで、「きっとこうだぜ!!」とやると、近い将来内田先生に駄目出しをされるのが目に見えている。いや、むしろ「何それ?」とか吐き捨てられそうである。

そんなこんながありながら、数年が過ぎ、合間合間に水戸講習会参加を強行したり、その際に道友諸氏に「岩手県のコロナ第1号はのんぶさんが良かった。」と言われ(当事岩手県は唯一感染者ゼロだった)、おかげでまだみんなに忘れられていないらしいことを確認でき、そして磐石のキャラ設定も普遍であるという現実も直視した。
この年の水戸講習会は身震いするほど解らなかった。札幌の斉藤さんと二人で頭に「???」が何度浮かんだことか。
筆舌に尽くしがたく、そして内田先生が現況を活字で発信しない(できない)理由を垣間見た。
やらなきゃわからない、でもやっていない。イコールわかるわけない。という立派な方程式である。
更に時は進み内田先生はぶっちぎる。遮断機なし。留まることを知らないブレークスルーしまくりの合氣道人生が凄まじい。
取り巻く環境も逐次変化し、間違いなく上方へ上方へと変化している。ひたすら上向きに思えた。

ご縁を頂戴して以来、まさか合同稽古に参加できない年が来るとは思っていなかった。
2年連続で記念写真に自分がいない。なんか寂しい。
内田先生は「お祭りだ」と一過性の節目の行事かのように仰るが、それでも得るものが多く、沢山の道友とコミュニケーションを図ることで情報も深まる。
尊敬すべき、尊敬に値しまくる先輩が沢山いる。やはり合同稽古は特別なのだ。

内田先生がネット媒体に少しずつ露出するようになり、世間の認知度は微増していることが皮膚感覚でわかってきた。
ゆくゆくつかまらなくなったり、声をかけづらくなったり、そういう個人的に後ろ向きなことを想像してしまうと、今までがどれだけ恵まれていたかを再認識する。
そうなってくるとチャンスを逸することは自分の合氣道人生にとっては死活問題である。機会は逃せない。
そこで2021年初冬。
合同稽古も終わった後に久々に岡山に単身お邪魔した。
「おめえさくにあったことあったけ?」
「ございません。」
そう。のんぶはまだお嬢様に会ったこともなかった。

鳥取大学の師範稽古の日程とかぶってはいたが、お邪魔することが叶った。
はっきり言って現況の技のクオリティに無知なのだから邪魔だけは出来ない。
鳥取までの片道3時間の道中も楽しく過ごさせていただき、ナイトウィッシュの現ヴォーカルが女子プロレスラーと言う話題で笑った。
ちなみに坂尾さんが過ぎし日、ツェペリンの”天国への階段”をヘビロテする苦行のような時間を内田先生に強いた歴史も知った。
物凄く建設的な話を聞かせて頂いたのは間違いないのだが、なぜか現時点で思い出せるのが女子プロのネタなのはどういうことだ?
きっと実りのある至極の教えは無事消化してあるからだと信じる。
ちんぷんかんぷんで現実逃避しているわけではないのだと信じる。
職場環境のえげつなさ等を原因に、この岡山に行けなかった期間でのんぶの頭は真っ白になっていた。物理的に。
以前よりも遥かに見た目が老化した。
岡山の定例稽古で、見知った皆さんに「どうしたんすか?」「玉手箱開けたんですか?」などなど、いろいろ聴かれたが、単に白髪が一気に増えただけだ。
鳥取大学からの帰途、坂谷さんを岡山駅でピックアップして、さらに岡山の夜が彩られる運びとなった。
のんぶがお邪魔する前日まで粂井さんも来ていたようで、そこからのんぶ、坂谷さんと、立て続けにお世話をいただくことになったわけで、内田先生については相当お疲れのはずである。
それもそのはずで、奥様が臨月のためちょうどその辺が予定日だった。
なので内田先生は楽しく酒をかっ食らっている我々のお相手をしていただきつつ、ノンアルコールで終始付き合っていただいていたのだ。
何かあればすぐに病院に走らなければならない。
お姉さまがお手伝いにいらっしゃっていたが、やはりこの状況の奥様を自宅に置いて、師範としての勤めを果たすべく鳥取まで行ったり、我々の相手をしてくださるのは気苦労があったことと察するのだが、のんぶは自分の余裕のなさに負けて指導を仰ぎまくっていた。
それでも坂谷さんとのんぶが「こんな大変なときにすいません。」と言うと、「かまわねえ。速日が呼んだんだろ。」と坊ちゃんの計らいで岡山に縁があったんだと示唆してくださった。この気遣い。言葉に出来ません。
結局想像の遥か斜め上を行く進化に、ほぼ理解できないまま岡山を後にしたのんぶ。
そのすぐ後に坊ちゃんが生誕したとの吉報が入った。
我々が帰るまで内田先生を自由にしてくれていたようである。
感謝。産まれる前からすごい子である。

のんぶは困っていた。
何をどうやってどこから始めればいいのか自分の稽古がまったく見えない。
岡山で取ってきたメモを見返すが、ある時期からメモできることに具体性が薄らいできているので、これまたあてになるようであんまりならない。
ああすればこうなると言う理屈が確実に存在するにもかかわらず言語化できないからだ。
身体言語は”その人”に付随する。
内田先生にこの感覚の正否をを聞くと「わかんね。」とはっきり仰る。
当たり前である。
例えばのんぶの思う三角と内田先生の思う三角は100%同じではない。
だから「どう考えるか?」について教えを乞うたところで「そりゃてめぇの感性だから俺に”これでOKか?“って聞かれたって”それで合ってる”なんて無責任なことは言えねぇよ。」という話だ。
師範の次元とのんぶの次元は等価ではない。
10を聞いて10を返してくれるわけではない。
こちらの10は師範の1にすら匹敵しないかもしれない。
だから望んだ答えが詳細に返ってこないなんて普通であって、師範としてはそれでも十分理解に足る返事をしてくれているはずなのだ。内田先生に限って。
でも受け取るほうがその次元に達していない以上、その含みが理解できない。及ばない。
そして数年が経った頃、ようやく「あ!そうゆうこと?(゚Д゚;)」と腑に落ちたとき、喜びを抑えきれず「こういうことですね!( `ー´)ノエッヘン」と勇んで裏取りを求めると「だから前から何回も同じこと言ってるだろ。」と苦笑されるのが師弟関係の将来である。
毎回ふっと自分の中に浮かんだ疑問を内田先生に確認すると、YES、NO、以外の説明で「なるほど!」とスルッと着地する答えは返ってこない。
それはつまり「もっとください」とのんぶが思うような”それだと私の疑問の隙間に間に合わない”という意味ではなく、のんぶの拙さが内田先生の想像を超えて酷いために、予想もしないところまで遡って、理路整然と、望んだ以上の教えを返してくださるという意味である。
「やべ、ぜんぜん間違ってんぢゃん。こんなこと聞いた自分がめっちゃハヂカシーんですけど!(/ω\)(汗)」という着地である。
で、周りを見渡すと、周りの人たちも「あいつ今更何を聞いとんねん・・・。無知は罪だね~。」といった顔をしている。
ってなわけで、のんぶの独り稽古はかなり危険なのだ。いや、”一人よがり稽古”は。

自分はそう習ったからそれで良しとする。
ある意味では正しい。そしてそれを人に伝えるのも正しい。だってそう習ったんだから。
でもその教えは一義的なものなのか?
他に含蓄はないのか?
先生が今伝えたところで、理解が及ばなければ、誤解から無用な方向に行くことも懸念して、”今はまだ”最大公約数の表現として“その程度の教え”に留めているという事はないか?
その先はないか?
道とはそういうものであり、それを賜った段階を金科玉条として自身の中に留めておき、深めることをしないのを、是とは出来ない。
必ず修練の先には”何故?”がある。
何でこうじゃなくちゃいけないのか?
時折、しかも結構な頻度で、内田先生は「ああ、この形にしかなんねえわ、って思った。」と仰る。
そうする意味と、そうなった意味と、そうにしか出来ない、ならない意味。
そこに行き着くように~というか停まらないからこそ、その事実に突き当たるのだと思うのだが~そこまでやることで、やってこそ、やったからこそ、その気づきが全てに通底する術であることが理解できる。
そしてその途端全ての動きの底上げがなされる。
「こう習った」と、月刊専門誌の写真解説を見て「なるほど」と真似をするかのような、一つところに拘って意固地に耕し続けることを悪いとは言えない。
でもひたすら煮詰めるが如く、ただただ繰り返すことは形骸化ではないのか。
「言われたとおりやってればいい」、それはある意味では正しい。
勝手に技を作るのは良くないし、勝手な解釈を人に押し売るのも良くない、「言われたことは間違いない」という解釈なら、その動きが身に沁みて、いつか自分のものになると思う。
そしてそれはきっと一定の説得力を生む。
だってそればかりを何十年もやってきたのだから。
凄みも出る。
でもそれは経験知から来る箔であり、まったく同じことを初心者が真似をしても同じにはならない。
それはやっていること云々ではなく”その人の凄み”だから。
職人のようなその人の秩序なのだから。
例えば”合わせ”。
「ぶつからない」ことに終始傾倒して練磨した結果、それがある程度のレヴェルで身についたとする。
術としてそれはすごいことで誇れるものだ。
でもその「ぶつからない」ということは”目的”ではない。
合氣道は「ぶつからない」ことは”前提”でしかない。
「ぶつからない」ことに立脚して3000を超える技がある。ここが恐ろしく辛いところ。
そればかりをひたすら続けることで身についた雰囲気やオーラのようなものはその人にしか出せない。
つまり憧れて、同じように追いつけ追い越せと邁進するなら、同じだけの経験を積んで、初めてその背中が見える“可能性”がようやく出てくる。
ここは肯定も否定もしないが、体の変更の稽古がさっぱり捗が行かず、次の技の練習にも進めず、先輩が「何やってんだ。いきなり上手にはできないんだからどんどんやれ。進め。」と言ったとする。
ここで後輩が「続けていけばなんとなく様になっていくのかな。」と自身を納得させて、ただひたすらに思考に囚われず繰り返すのか、「なんかぶつかっちゃうんですよね。」と含むべき前提を見据え、打破すべき課題を理解し続けて稽古しいるか、この違いは行き着く結果に対して影響が小さくない。
もちろん大ベテランの先達に対し、「技は凄いけどスゲーぶつかってるじゃん。」なんて言える無礼者はいない。
でも求道者が100人いたら、それぞれがそれぞれに感じ方があって然りなのだ。
多様性ではない。
合氣道は自分のためにやっているのであって組織のためにやっているわけではない。
常に「これで良いのか?」と問わないと必ず研鑽者として一番大切な何かを見失う。

さて満喫編だが。(ここまでがプロローグだったということで( *´艸`)テヘペロ❤)
過日のように書くことを前提に臨んでいれば、ネタのストックや面白エピソードをノートに書きとめて置いたりしたのだが、いかんせん最終日の、しかも駅へ移動する1時間前の、酒宴もたけなわでのやり取りで書く方向に決まったので、ネタが・・・。そして記憶が・・・。(@_@;)
ということで(ここまでが言い訳( *´艸`)テヘペロ💛)、個人的な紀行文になります。(キッパリ☆)というか過去の満喫編も紀行文なのだけれども。
写真フォルダにどんな写真があるか掘り出してみたところ、ちょいと時期を判別しかねるのが数枚出てきたのでまず載せてみます。
ありありとこの時からのんぶの技はまるで成長していないことだけが思い起こされました。

  2018年のイカ焼きそば

  恐らく同年のチーズダッカルビ

  メガトン焼きそば

 おでん様  愉快で最高の仲間

 おでんからのカレーうどん  伊勢海老ラーメン

  

 焼肉牧場 

  

  

  水戸講習会

  

  

  

  

  

  

  

 2019年内田先生結婚式

  微妙に写り込む宮本さん

 何かが起こったらしく転がされる大塚さん

  何かが起こったらしくやられた平岡さん

  

  

 2019合同稽古

 東京稽古会  直会ではレアな粂井さんがチラリ

  見てるだけで安心する3人

 いつだって先生自らが手料理を 

 出汁殻となりはてた伊勢海老さん

「おう。合同稽古来るだろ?」
いたってシンプルなお誘いを頂戴した。
その語感からは“来るのがあたり前”かのようにも感じる。直接のお誘い。
いつもは坂尾さんから出欠の確認が来るのがお決まりの流れだった。

ご自身の動画を公開し始め、兄弟子のユーチューブチャンネルにも登場し、フェイスブックの友達申請の桁は一般人のそれとは桁違い、ご家庭も益々ご繁栄されている現状である。
どこかで少しずつ遠くなっていくのかしらんと怯えていたことは確かだった。かなりの思い上がりである。
でもその受話器の向こうにはいつもの内田先生がいた。
最高でーす!(ノД`)・゜・。

この何かとおかしくなっている世の中で、ガッツリ接触稽古が物を言う合氣道。
(もちろん触らないで人を1回転させる恐るべき神がかった先生方も世の中にはいるけれども。)
皮膚感覚での実感がないが、学生さんなんかはやはり学校の対面上もあってか、稽古が出来ない、有名無実化している部活の状況も聞き及んでいた。
当然毎年100人超え当たり前の合同稽古も世の中の煽りを受けないわけはなく、のんぶも行けない年が続いたし、実際の参加者も例年通り100人越えとはいかない状況。
でもそれは別に稽古の純度と質とは無関係なわけであり、そのご時勢を押して参加した道友には恐るべき実りをもたらしたことは想像に難くない。
このタイミング。
今は岩手県でも移動制限が発令されていない。
職場の状況や心象も当事より深刻ではない。
行かないという選択肢はない。
めちゃくちゃ絶望するのはわかっている、が、行く!(。-`ω-)

遡ること数ヶ月。
後藤さんに田辺講習会に誘ってもらった。
おおおお!!田辺ぇぇぇえl!!!!
・・・・でも行けない。
が、しかし!
後藤さんから最高の超レアのブツを頂いた、
最高じゃないか・・・・。
嬉しいじゃないか・・・。


そしてバイクを駆って坂谷さんが岩手へ来た。
おおおお!!
最新をつい最近体感体験してきた道兄から直接教えてもらえる!!!
これはかなり有り難いぞ!
坂谷さんは東京稽古会にも顔を出して常に日々刷新しているのは間違いない。
稽古も毎日毎日欠かさない。
現在進行形。
よっしゃ!!
果たしてのんぶは胸様の虜にされた。
虜にはされたのだが・・・
できねー・・・。('Д')
でもって坂谷さんの解釈も深まっている臂力の養成に類することも・・・
何ひとつできねー・・・。('Д')
圧巻の差。
坂谷さんの言っていることは解る。
実際体現してくれるので「なるほど」と得心は行く。
でも相当にその動きが繊細だ。
割と早い段階で感動と同じ量のショックを味わい、夜は宴を楽しみつつ、内田先生ともお話をして、翌日仕事ののんぶは坂谷さんを独り残して朝には布団を出た。
温もりだけを残し。
ちなみに前日に坂谷さんが樋渡さんからもらった利き酒セット(日本酒が3本)が空っぽになっていた。
・・・はて?誰がいったいこんなに・・・。
しかしこのとき、のんぶには課題どころかそれ以前のものが圧倒的に足りないことを気づかせてもらった。
坂谷さんは凄い!
有言実行で、且つやりたいことをやり、突き詰める。
既に習字の腕も相当なものだと感じた。
興味を持って、そして好きになる、この条件は大切だ。それをまざまざと見せ付けられる。

 

月日は流れ、坂谷さんに水戸講習会に誘ってもらった。チャンスだ!!
この機会にプレ絶望をして、気持ちの下地を入れつつ岡山でとどめを刺され、本当の絶望に身をよじろうではないか!
そう思った。
しかしその計画は水泡に帰し、のんぶは無防備の状態で一刀両断されるレールに乗ったのだった。
即死は避けたい。耐えきれ!俺のメンタル!!

少し間が空いただけなのに前回の岡山も新幹線チケットの買い方を間違えて危うく行けないところだった。
今回もやや不安を感じながら確認に確認を重ねチケットゲット。
しかしあれですな。
世の中密着は駄目だとか言いながら、指定席を取ると周りに空席がゴロゴロあるのに隣におっさんが座るのは何故なんでしょうね・・・。(=_=)
予約した順番に座席があてがわれるんですかね。(=_=)
AIってのがどんなもんかは知りませんが、コンピュータで管理してるんなら少し散らしてくれても良いのに。
空席わりと有りなのに、なぜか知らねぇ人(中年層)とミチッとくっ付いて、その区画だけ立ち昇る茶色いオーラ出しまくってるのって不自然じゃないっすか。(ΦωΦ)

生憎行程中の岡山の天気は雨予報。やむを得まい。

  朝ご飯

既に地元は雨降り。
新幹線の車窓からも雨天しか見えない。
東日本を日差しを見ないまま上京した。

 

やべっ・・・。雨天続きの相乗効果で不安が膨らんでくる。
せめて岡山で直接指導していただくことがのんぶの中に意味を持ってくれますようにと願う。
刻々と目的地へ近づく。

 名古屋だがや

 京都タワーが見えますどすえ

 

晴れてーら!!!(゚Д゚;)

 岡山駅東口

駅で坂谷さんと待ち合わせ合流。なんて心強いんだ!!
そもそも合氣道関係者ともほぼほぼ会えていなかったわけで。
ましてめちゃくちゃ寂しい時が長かったわけで。
その心細さとこれ異常ないくらいに小さくなった自意識を、同じ道を行く仲間という存在がこんなにも照らしてくれる。
この時点で坂谷さんは帰りのお土産を購入。時間配分はお手の物。
お勧めウィスキーのグレンリヴェットも手に入れて準備万端である。

超絶久々の生内田先生に拾ってもらい・・・つーか車が変わっている!!!(゚Д゚;)

車中で内田先生と坂谷さんの車のナンバーの意味についての思惑の行き違いが面白かった。

前よりでっかくなった車は駐車場までしか上がれず、途中で買い出した合同稽古日程中の食材を携えながら坂道をエッサホイサと上る。
帰ってきましたよ~・・・。
おかやーまっ!!!☆(最早この時点で不安より喜びが勝った)

内田先生が早速お昼ご飯の準備をしてくださっている間に坂谷さんと桃李館を掃き清める。



今回のご馳走一発目は至極の肉吸いで幕を開けた。

 もちろん昼間っからビール付きですわ

美味い・・。
はっきし言って美味い・・・。
嗚呼・・・・。
美味い・・・・。(。-∀-)
当然ですが既にアルコールは入るわけです。
真昼間からアルコールです。
そりゃそうです。
美味いご飯に、最高の稽古、素晴らしい仲間、笑顔になる時間、誰が来てもここに全部あります。

さて、こなれた腹を抱えながら夜まで稽古です。

が、

・・・間違っている。

というか今まで間違っていた。
そんな気づきもあり、そしてまた進化と深化が凄い・・・。
もちろん動ける体を手に入れることは必須なのだが、意識の使い方も卓抜している。
魂魄。
顕幽一如。
まさにこれは両輪であり、片輪になれば一つ処でぐるぐると迷走するが如し。
いや、ぐるぐるだから迷走にもならない。同じ処で留まる結果にしかならない。
酔った頭でもそれとわかる衝撃。この次元でオープニングです。

”条件反射”は恐らく体が覚えたことが意識を追い越して反応するものだと思う。
ようは頭が「こうすれば回避できる」と思いもよらない動きはしない、できないと思う。
例えば煮えたぎるやかんに触ったら熱い。
だったら触ってないで離せばいいじゃないか。
と言うのは、実際体感していなくとも、ある程度の常識、知識を動員すれば、頭がそれを理解する。
DNAレヴェルの本能も当然あるだろう。人間だから。
でもできないことはやれないわけで。鳥のように空を飛ぶとか、それとは違う。
誰かが「人はイメージできることは叶う」と言ったようだが、だから空を飛べるか?と言えばそうではない。
理屈がわからないから。
理論上では本来蝿も飛べるはずがないそうだ。飛んでるけど。
遺伝子組み換えだ、クローンだ、AIだと言ってはいるが、人は蝿一匹すら無から作り出すことは出来ない。
そんなのは常識だ。
つまり飛べる自分をイメージできるからいつか飛べるのではない。
どうすれば飛べるかを理解して、それを達成しうる体を手に入れるにはどこまですればいいかを知りえない限り、自由に大空は飛べない。
まったく同じだ。
真っ直ぐ立つとは?留め置くとは?“そこだけ”を動かすとは?
練磨研鑽し、ひたすら繰り返して己の体にその機能を呼び起こす。
武道を学問として履修し続け、それを成し得る体を作るためのあらゆるものを積算する。
その上に成り立つ。
その上での意識、イメージは、まさに「腕を上げたい」と脳が思った0.5秒後に動きとして”腕が上がる動作”が現象として現れるのと同じ、自制の元に表現できる術なのだと思い知らされた。
相当前に教えていただいた、「型で身につけるのは機能だ。機能と能力は違う。そこは理解しとけ。」と言うことを改めて噛み締めるに至った次第。

休憩を挟み、この間に坂谷さんと動きながら復習しつつ、メモを取ろうと思ったら習ったいろんなことを説明する言葉がぜんぜん見つからず、なんかどんどん言い回しが壮大になっていく。
字数が多くなっていく。
アッカド語が羅列されていく。
しかし書くしかない。
取っ掛かりを失うと勝手な解釈で今後の稽古をすることになる。
まずは種だ。芽吹かせるのはそれからだ。

お嬢様と坊ちゃんが今日は元気に出迎えてくれたのだが、聞けば夏以降随分と長い間内田先生ご一家は調子を崩されていたそうで、正直この時点でも奥様は本調子ではなく、内田先生も完全復活とは言い難い状態とのことだった。

でもお嬢様はバリバリだった・・・。
無邪気だった・・・。
バリバリ無邪気だった・・・。
そして坊ちゃんが(初めて会う)えらく男前だった・・・。

あっという間に晩御飯の時間が近づいてきたので坂谷さんが豪快にキャベツを裁断し始めた。
今夜はお好み焼きである。

 ザムザムザム・・・と切りまくる

着々と準備が進んでいく中、恐ろしいオーラを放つソースが視界に入ったが、無視した。

 無視に値するヴィジュアル

鉄板焼きブース開店。
今宵はよしなしことを語らいながらの平和な宴。
別に明日以降が平和ではないという意味ではない。

 

 

 

「シャカタニー!」
「はーい!( ̄▽ ̄)」
「さく。坂谷“さん”。」

5分後。
「シャカタニー!」
「はーい!( *´艸`)💛」
「こら、さく!坂谷“さん”!」

5分後。
「シャカタニー!」
・・・以降繰り返し。
といった牧歌的な場面もあり、都度坂谷さんはお嬢様を抱きかかえ高い高いをし、ブルンブルンと振り回しながら人口遊園地を演出していた。えらい人気である。

一方のんぶは豚柄のTシャツを着ていたために「のん豚。」を拝命した。
一方で内田先生の耳打ちにより「ブヒブヒブー。」も拝命した。
最早どちらの名前で呼ばれても光栄である。
まだまだとしはもいかないお嬢様は、きっと毎年のんぶのことを忘れる。
坂谷さんは年に数回訪岡するので記憶から消えることはないと思うが、のんぶは頑張っても年1回。
だから毎年豚のTシャツを着よう。
60歳になっても着よう。
でもそのころお嬢様は中学生の思春期になっているはずなので、きっとボロボロになった豚のTシャツを着た頭が湧いている変態糞ジジイだと思われるに違いない。
きっとドMには垂涎の境地だがのんぶはドMではないのでその時は悲しいだろう。
そう、きっとショボンとするだろう。
尽きない話を右へ左へ織り成しながら、楽しい初日は更けた。

 坂谷さんと坊ちゃん

二日目。

はい。天気予報ハズレ。.

めっちゃ晴れてる。
そしてめっちゃ茹で卵ある。(; ・`д・´)

 産むも産んだりハードボイルド

そう。今夜は名物ギガおでんの日なのだ。(メガではない。ギガだ。)
坂谷さんと共にその下ごしらえをしている間に、内田先生が朝ごはんを作ってくださる。
誠心誠意殻を剥いた。
これでもかと剥いた。
力の限り剥いた。
そしたら1個少し割れた。
気を取り直して剥いた。
ツルンツルンにした。いや、トゥルントゥルンにした。☆

 
その名は”雑炊”

この日は朝から茨城大学関係団、伊澤さん、大塚さん、宮本さん、それに夜からは豊田軍団、久山さんが合流する。
ここが毎回前乗りのおいしい所で、前日にやって理解に苦しんだところや客観的に観察しかねたところを、道友が増えることで同じ教授を別視点で見れることになる。
あわよくば理解が深まるかもしれないのだ。

まずは第1班が到着するまで坂谷さんと一緒にお嬢様と坊ちゃんと遊んだ。
昨年お邪魔したときに、「さくのとこ見てみろ。な?スゲーだろ?赤ん坊から立てるようになるとああゆうことが出来るんだ。」と内田先生に子供の体現するポテンシャルの凄さを示唆されたのんぶ。
この1年、お嬢様から学ぶべく地元でハイハイをしまくった。
そこで己の中で何かが目覚めることを期待したのだが、そのことを前日にどう評価をされるか伺いたいばっかりに、「ハイハイしてました!」といやらしくも発言したところ、どういうわけか内田先生と坂谷さんから、“四つん這いプレイを年中続けたお陰で別の世界に目覚めたかった願望を持つ変態中年”と受け取られ、あわや破廉恥野郎の烙印を押されるところだった。
破廉恥野郎に認定されてからの「のん豚」拝命はさすがに底辺まっしぐらな危険性があるので弁明した。

 
※注:これはプレイではありません

第1陣、第2陣と時間差で第1班が到着し、稽古が早速始まったが、技のキレが凄まじ過ぎてのんぶの野望はついえた。
とてもじゃないが昨日の今日で理屈がちょっぴりわかったぐらいでは見取れない。
「なるほど!」とは言えない。
そしてあっと言う間にお昼の時間になった。
ここからは茨城大学のゲンタさんとリョウスケさんが大活躍することになる。

 

お昼はスパゲッティである。ウマしウマしのスパゲッティである。
元気いっぱい食べれちゃう皆さんがどんどん集ってきているので、どれだけ多くても凄い勢いで美味しくいただく。

 トングと比較すると超ド級のヴォリューム

 が、しかし、美味しいものは一瞬で消える

「しゃかたにしゃーん!!」
「あーい。(*´Д`)☆」
「あ・・・、召喚された・・・。」
最早一部では坂谷さんが“召喚獣”でお嬢様が“召喚士”のようだと実しやかに囁かれていた。
呼べば現れる。

昼時間もお嬢様と坊ちゃんは大人気。
おじちゃんたちはみんなで揉みくちゃにしていた。
見る限りベタボレである。
哀しいほどにメロメロである。
冷静に考えて、武道家ばかりが集まっているはずなのだが、全員デレデレしている。
殺気立った無骨で血気に逸る乱暴者の巣窟だとしても不自然ではないはずの“道場”という場所が、誰がどう見てもホンワカしている。

今日の夜は前夜祭(定例稽古)があるのでそれまでは思い思いが疑問を内田先生にぶつけ、余すことなくそれに内田先生が答えてくださるという贅沢且つ稀有な時間だ。
集った道友道兄全員の理解度も日ごろの進捗状況も違う。
だからこそそれぞれの疑問や躓き、ぶち当たっている壁に、まるでそれが自分のことのように耳を傾けることが何かを打開するヒントになる。
これもまた全国から仲間が集結する合同稽古ならではの美味しさである。
「師匠の進化は弟子の及ぶところじゃねぇ。」
それはまったくもってそのとおりであるからして、内田先生が見せてくださった動きに対して「何か聞きてぇことあるか?」と問われれば「全部。」になってしまうし、「どう動けばいいんですか?」の問いには、恒例の「見たとおりやれよ。(笑)」が返ってくるわけで、同じ道を行く“弟子"の立場であれば「ああ、そうそう、わかるわ~。そこ迷うっちゃうよねー。」といった雰囲気を共有できるのである。別名”傷のなめ合い”である。
なのでこういう悩める仲間が沢山いるときは期待してしまう。
が、しかし・・・。
このときは諸氏の稽古がのんぶより格段に進んでいて(当たり前)質問自体も高度な気がして、”置いてかれてる感“だけがのんぶの心を埋めていった。

 良き秋の日

 宮本さんは家へのお土産を心配する優しき猛者

 

 ここまで密な手ほどきがあろうか

昼食後も少しのお休みを挟み稽古再開。これぞ合氣道尽くしの満喫編。
座学的な質問タイムも要所要所で設けられつつ基本は動いて動いて動く。
基本的におじちゃん達が大好きな合氣道をしたくてしたくてたまらなくて集まっているわけで、地元に帰れば指導者の顔を持つ方々も多く、自身のキャリアは途切れずに来ているだけに、自分自身は始めたころの気持ちをずーっと忘れないでいるわけだが、人魚の肉を食ったわけでもないのでみんな一律に歳は取る。
体力だって若いときと比べて平行線というわけにもいかず、だからして力任せのパワー一辺倒という方向性にも(あくまで“にも”)限界がある。
体躯に勝ればそれに気づくのは人より遅いかもしれない。
それで未だに通用する環境でしか稽古をしていなければ、質的な臨界点を知ることもないかもしれない。
それで良いなら良いと思う。
でもその先の世界の存在を知ってしまったら・・・?という話なのだ。
武道は学問。座学で得る知識も大切なのだ。

 一呼吸入れながら確認作業も大切

徐々に西日本とはいえ陽が暮れる。
そこに豊田軍団が合流し更に稽古と交流を深めつつ、夜の定例稽古へ向かった。

 キャメラ目線

岡山合氣修練道場の稽古は凄惨を極めた。
とにかく凄い。
軽く交通事故レヴェルの衝撃なんて当たり前。
それ決して暴力的な意味ではなく。自分に何が起こったのか事後に考える刹那的衝撃。
技に威力を加えるのは筋力ではないことの体現。
呼吸力とは?ということの体現が未熟なのんぶの心身を削っていく。
努めて丁寧に稽古したつもりだが、お相手を務めてくれた津川さんは生粋の内田門下。厳しい!!
道場の反対側では怪獣のような咆哮が轟いている。
間断なく轟いている。
熊本から来た久山さんも何度か稽古にお邪魔しているとのことだが、この状況(熱さ)に触れることは年に何回もないのではなかろうか。
ちなみに久山さんの出自をさわりだけ伺ったが、熊本から岡山まで出てくる価値はある!意義もある!とのんぶは大いに感じ入った次第。

結局いつものように、手ごたえが具体化しないまま、何か自分の中でいつの日か芽生えて欲しいと願うばかりの苛烈な稽古は終わった。
鍵野さんが是非内田先生のところにお邪魔したいとの言を発してらっしゃったが、講習会に加え、こういう“岡山にとっての日常”も是非体感されたら有意義だろうなあと、外様出身現在進行形の未熟者としては要らぬ思いを抱いたりした。
「その道場がどんだけのもんか弟子見りゃわかる。見てみろ。俺の弟子はみんな強ぇぞ。」

夜のギガおでん大会が始まった。
つーかテラおでんだった。
スラッシュメタルに例えればメガデスでもギガデスでもなくテラデスだ。
パンクに例えればセックスピストルズでもなくセックスマシンガンズでもなくセックスバズーカズだ。(←語呂悪い)

 

猛者たちがこのおでんを胃袋に仕舞い込み、練り物や根菜から出た出汁やエキスをたっぷりふんだんに使ったカレーうどんが畳み掛けるように爆誕する。
どちらも至極の美味さ。安定の高クオリティ。
そう、岡山は美味い!!( `ー´)ノ
全て、いつも、内田先生の手料理!振る舞い!
我々は徹頭徹尾世話になりっぱなしなのである。
坂谷さん購入のグレンリヴェットが空になる。
久山さん提供の墨守も空になる。
アサヒスーパードライも空になる。
さっきの稽古で教えてもらったメモする前の貴重な知識の詰まった頭の中も空になる。
・・・・良い集まりだ。(※注 教えてもらったことが消し飛ぶことは決していいことではありませんので薄れる前に何かに留め置いてください)

 

 

後藤さん平岡さん琢磨さんがなにやら今日現在の葵道場の状況で盛り上がっている。
聞けば一部個性派揃いの楽しい集まりになっているようで、踏み込んで聞くとスゲー面白かった。
平岡さんの物真似は既に達人の域に達していると、門外漢ののんぶですら戦慄した。
ずっと見てられる。
共通の尊敬する師匠があり、共通する話題があり、共通する目的があることの幸福。
それを皮膚感覚で伝えてもらえると、端くれでも”道友””仲間“として同じ場所にいれることを有り難く思う。
このとき後藤さんがタブレットでブログを更新しているように見えたが、常々疑問に思っていた「後藤さんは果たして眠るのか?」という疑問を投げかけたところ、平岡さんと琢磨さんが口を揃えて「僕たちもいつ寝とんのかなあ?思うてました。」という返事が返ってきた。

お料理のお世話も一段落し、内田先生が中座するタイミングもなくなったので、ここからは恒例の「ちょっとアルコール入ってる分少しだけ大切なことをポロッと言っちゃうかもしれないよタイム(仮称)」がやってくる。
とはいえ実際は質問に対して実技で指導くださるので、体で読み解かなければいけないのはいつもどおりなのだが。
お酒が入っていても結局凄いものは凄いわけで、むしろ受け取る側の我々に酒が入っている分思考理解が追いつかない。

 エキストラステージではなく本編

 

 

 崩されて近づけなくなるのは一瞬の出来事

楽しい時間は光の速さで過ぎていく。
桃李館に合宿よろしく布団を敷きまくり雑魚寝タコ部屋状態が愉快でたまらない。
つーか現在時刻がえげつない・・・。
10年以上前に「朝までやってていいぞ。」とお声掛けいただいたのを想起させる。

 

 
えげつない時間にも拘らずエナジー全開の坂谷さん

なかなかに交感神経優位なのんぶが寝付けず頭の置き所を模索していると、後藤さんが「これ敷けば良いんじゃないですか?」と薄笑みを称えながら一升瓶(かつて墨守だったもの)をのんぶに渡してくれた。
時代劇の悪い殿様に悪党が「これで枕を高くして寝れますぞ」と言うのを何度となく観たが、あんな高い枕、寝心地良いはずねぇだろ、長方形で角張ってるし、とケチをつけていたものだが、一升瓶を枕にするというのは人生始まって以来、思いもよらなかったことなので、好意に甘えてやってみると・・・・
・・・OH!Yeah・・・(´◉◞౪◟◉)・
めっちゃサイコー・・・・💛

のんぶは安眠した。

が、明け方!
暴力的で極悪ないびきの大合唱で目が覚めた。
さながら魔窟。
正直動画で保存したら寂しいときに気が紛れるレヴェルの容赦ない無為の生命活動がそこにはあった。

そして今日はいよいよ合同稽古当日。
里庄武道館での開催は数年ぶりとなる。
朝ごはんを終えて暫しみんなでゆっくりしていると、
「シャカタニー!!」
「あーい。(=゚ω゚)ノ♪」
「ポケモンみたいっすね・・・。」
「こら、さく!坂谷“さん”!」

語感としての収まりがいいのか、気分なのか、雰囲気なのか、「覚えたら忘れろ。」の実践なのか、とにかく今日も朝からお嬢様は元気いっぱいである。
そして一部では坂谷さんが呼び方次第でポケモンのように呼び出されお嬢様がポケモンマスター、みたいな認知をされ始めていた。
ともあれこのやり取りはほっこりしていて飽きないので今日も良い日になりそうな予感だけが漂っていた。
お嬢様はのんぶに「のんぶたー!」と言って突っ込んでくるときは、大概抱きついてくるか胡坐の上に座椅子状態で収納されるかのどちらか。
あんまりブンブン振り回して欲しいとかではないようだ。

 

その間坂谷さんは坊ちゃんとも遊ぶ。

 可愛くて仕方がない

一通りおなじみのルーティンが終了すると、合同稽古に向かうまでの時間を惜しむように最新の稽古を堪能する。

 

 

 

 自分の体なのにそうではないみたい

そして移動補助のために来てくれた岡山合氣修練道場門人の方々もガクガクにされていく。

 
腰が浮かぶ

今回から坂谷さんをはじめ、のんぶも合同稽古後は内田邸には戻らずに直会会場の「やま幸」の風呂でぼろ糞になった肉体を癒し、そこから酒宴へ臨むという段取りになった。初体験である。新鮮な楽しみが待つ。

 いつぶりでしょうかねー。

時間通り移動をはじめ、久々に感じる里庄武道館へ到着。
このイレギュラーなご時勢の中、参加人数が多少少なくなったとはいえ、外まで聞こえてくる気合は変わらない。
本番前でも諸手祭りは始まっているのである。祭りというか“ご挨拶”である。
すげー久々感。

 

 

 

 

 

 

 



 密を避けてはいるが熱い!(※注:本番前)

時間ぴったし。
2礼2拍手1礼からの「お願いします!!!!!!!」⇒終了。

・・・濃い。
まあ、とにかく濃い。
いろんな道友と組める、キャリアの長短の差も体験できる、先輩の胸も借りれる、まったく行ったこともない町で人生を過ごしてきた人の腕を握れる、初めて会う人とも共通項を持って語らえる、
・・・最高。
まあ、とにかく最高。



とにかくこの日程の1週間以上前から気にしていた天気はずーっと雨予報だった。
のに晴れた。
暑い。
晴れの国強烈。

場を惜しみつつも「やま幸」へ向かい、伊澤さんの駆る車中で賑やかに皆さんと語らいながら到着。
おお・・立派だ・・・。
初体験だ・・・。
ゆっくりしよう・・・。

 リラックススペース

みんなで風呂に浸かりながら、自然に力の抜けた状態でのんびり過ごす。
贅沢な時間である。
わりと時間ぎりぎりまで体を温めてから会場を移動。
本行事節目の直会がスタート。

「皇!!弥栄!!!!」
安定の進行でいつものように楽しい楽しい時間が過ぎる。
全国から集まった各団体の挨拶が終わると、それぞれ道場単位で内田先生へ挨拶。
参加者は思い思いに交流を深める。
世界中に合氣道の集まりは沢山あるはずなのだが、この穏やかな世界は稀有なのではなかろうかと、毎回参加させていただくたびに思うのだ。

 

 

 

ここでも間隙を縫って平岡さんの名人芸をS席で拝観することが出来た。
後藤さんがそれに対して「ちょっと盛ってるけど。」と言っていたが、楽しかったのでこれはこれで正義だと判断した。
本来よその道場の敷居を跨ぐという事は稽古を前提にするものだが、なんか豊田の皆さんの話を聞いていると単純に覗きにいきたい衝動に駆られる。

一方奔放に会場内を走り回るお嬢様を追っかけて回収して歩く伊澤さんが時折視界に入るのが楽しかった。

 
背景に写り込む伊澤さんの”親戚のおじちゃん感”がたまらない

 内田先生の献杯のご発声を見守るお嬢様

内田先生の献杯の締めから会場を内田邸に移し、いよいよ2次会へ突入する。
毎年ここでお別れという道友が結構いるので残念なのだが、事情と都合をそれぞれ抱えている身であるからして、止むを得ない。
この後をも堪能できる幸せものに託された義務は「満喫する」ことなのだ。

 

 

 

 〆に至高の一杯

 

 
更に空になる酒瓶とお嬢様の「宮本さんゲットだぜ!」(ポケモン化)

 

 
伊澤さんの”親戚のおじちゃん”状態が止まらない

久々につきペース配分を忘れて楽しんでしまったのんぶは既に結構酔っ払っていた。
その胃をリセットする特製塩ラーメンが目の前に現れる。
復活である。
これで復活である。
そして選ばれしおじちゃん達が持ち回り&順番待ちでお嬢様と坊ちゃんを愛玩する。
みんな召喚されたいのかポケモンになりたいのか、いずれにせよそこには優しい世界だけがあった。
・・・っという間に塩ラーメンは消えていた。

 
巌さん不在時ははだけるのは大塚さんの役どころ

昨日の今日でまた明け方までやると肉体的にえらいことになるのはわかっていたので今夜はそれなりに早め消灯を心がけた。
なんてったって今朝!!!半数以上の中年が筋肉痛で朝起きれなかった。
あの3密空間で、朝っぱらから
「ぬうううう・・・」
「ぐおおおおおお・・・」
「きええええええ・・・・」
「んがああああああ・・・」
という野太い声が交錯していたのである。
みんな体中から悲鳴を発していた。
車だってずーっと乗っていれば故障する。いつまでも新車ではない。
しかし我々は20万キロ走った車を購入時とまったく同じように操縦するかの如く体を使う。
オイル交換もせず、タイヤも換えず、まだまだ行けるぜ!と鼓舞して乗りまくる。
その結果が今朝の悲鳴の連鎖である。
もう若くない。
もちろん稽古の次元がかなり上がっているために、普段使いでは使わない筋肉を酷使しているという原因もある。

 準備万端

翌朝も晴れた。
当然内田邸には国旗が掲揚される。皇弥栄。
実質岡山で教えていただける時間はここからお昼までの時間帯が最後の枠となる。
振り返れば今回も合氣道尽くし。
思いつくままに教えを請い、崩され、尻を着いた先に、まるでスナイパーのようにそこに待ち構えていた段差にのんぶのケツは打ち抜かれた。
ケツが割れる。
雄叫びを上げ思考停止。
油断禁物だ。



 
事件現場と被害部位の骨格

一応後で役に立つことを祈りつつ、昨日は日程上書けなかったメモを、なんとか思い出しながら書く。
この時点で前々日までとっていたメモが読解不能。
アッカド語がここに来て健在である。
む~・・・ヤベーぞ・・・。(;´・ω・)
でも何とか断片的にはわかる気もするので、前後の文脈から想像すれば思い出せるかもしれない。
なんてったって直に体験しているのだから。
この何年かのように、言語のイメージや思い込みだけで自分の中に生成されるものではなく、実際に体験していることは大きい。

 
天気は最高!

時は来た。
焼肉牧場タイム。
着々と準備が進む。
これが例年の岡山合同稽古の千秋楽。
「しゃかたにしゃーん!!」
「あーい。(*´▽`*)💛」

もうここまで来るとお嬢様もブレなくなっていた。
最早かなりのレヴェルアップとみて良いだろう。
内田先生がとにかく自ら我々をお世話してくださっている間、お嬢様も坊ちゃんも大好きなご両親にかまってもらえないので、責任を持って我々中年が愛でる。
愛でる。
愛でまくる。(゚Д゚)ノ
「のん豚―!」
「めっちゃ愛されてるじゃないっすか!」
と、宮本さんは言ってくれたが、きっとまだデパートの屋上で風船を配っている着ぐるみみたいなランクだと思う。

 

 
髪を引っ張りひるませてからの手首の表側でこめかみを打突する”解ってる風”の技

七輪の火を育てながら内田先生がチラチラこちらを伺いつつ心配そうな面持ちで
「おいおい、明日からおじさんロスになるんじゃねえか。」と仰った。
そう、我々ポケモン軍団は本日で全員帰還する。
寂しく感じてもらえるならこれもまた光栄至極。
ここで坂谷さんが勝負に打って出る。
「いやあ、すいません。昨日さくちゃんとチュウする夢見ちゃいましたよ。」
「そりゃあ夢なんだからしゃあねえべ。」
「本当にしちゃったらどうします?」
「破門。」
そうしてデレデレしているうちに昼間の宴が始まった。
加えて命が惜しい男たちはどんなに可愛くてもチュウはするまいと心に誓った。

 

 
まずは牛タンが唸る!

 
容赦ないハラミの追撃!!

 
はち切れそうなピーマンの存在感

 ゴーヤチャンプル―がアクセントを織りなす

埋め尽くされたホルモンが辿るはKISS OF FIREへの道!!
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「信じられないだろ…これ…ホルモンなんだぜ…」
スモークオンザ七輪からの立ち昇る火柱!!!そこに箸を突っ込んで喰らう!!火傷上等!
お嬢様が就学したら同級生に「ホルモンって火柱に手を突っ込んで食うやつでしょ?」と語るであろう…


のんぶの帰還時刻が着々と迫る。
坂谷さんと一緒にお暇する予定だったが、急遽坂谷さんは延長戦を宣言した。

来年はのんぶの奥州合氣修練道場が10周年を迎える。
記念講習会として内田先生を講師としてお招きする計画がある。
お呼びしたならお呼びしたなりに主催たる自分も多少使えなければ、と思ってはいるものの、まだまだ「先生は凄いのに呼んだ側のこの人はぜんぜん使えねぇ」と言われる状態。
遅すぎるのは重々承知だがここからまた決意も新たに精進だ。
“現在進行形の”とまではいかないまでも、内田先生の取り組みに岩手で触れることが出来るのはうちの道場だけという自負は死守する。
とにかく田舎なので公共交通機関が少ないばかりか電車も1時間に1本、それすら無いときもある。
それに加えうちの道場はそういった交通機関からのアクセスが超悪い。
まさに車必須の田舎町。
自己満足のメモリアルイヴェントになりかねないのだが、よそからの参加者いなくとも、せめてうちの弟子には体験させてやることが出来る。
本物を知るチャンスが出来る。
のんぶにとっては節目なのだ。

 お天道様が見えることが少ない田舎

宮本さんに続き、大塚さんとのんぶも帰途へついた。
内田先生へ挨拶はしたが、宿題が半端ない。
先を考えると茫然自失なのだががんばるしかない。
「では、また来月。」
「いつでもどこでも会えるっていいねぇ。」
来月は水戸講習会がある。
その場所の道友が待ち、馴染の面々も全国から集う。

奥様がおむすびを持たせてくれたので、今夜の晩飯はこれで決定である。感謝!!
初日の漏電事件もこの瞬間奇麗な思い出に昇華された。

 

 おむすび「いただきます!!」

地元に戻り、10年以上前から書き留めてある稽古日誌を読み返すと今をもって古くない。
むしろ今この時点において確実にそれらが踏襲されていることに驚く。
「ああ、そんなのもあったなあ。」というのは内田先生からよくお聞きする台詞だが、“それ”を否定したことは無いように思う。
既に身体に組み込まれてしまったがゆえに、昔ほど重要視していないとか、意識せずとも全局面において”それ”含んでいるとか、決して上書きではないのだ。
なかったことにはしない。

世界中の数多の王朝が、打ち倒した従前の王朝を否定し、新王朝に都合の良い歴史観を「あれは違う。悪だった。」と植え付けるのに対し、わが日本は、万世一系の天皇の下、一貫して日本であり続ける。
歴史を否定せず、他国の文化も日本型に修正し、「みんな一緒」だと受け入れてきた。
「全部合氣道に直せば良い。」
過去の取り組みを否定せず、一貫して口伝を守り、行き詰ればそれを“否定して新しいことをする”のではなく、現在進行形の基準に磨き上げることで対応する。
これ大先生の仰る大和心の発露と御技だと理解する。
大和魂の宿る純日本型武術。

“本流”と”亜流”を区分する必要があると考えるのは、本流というラベルが必要な特定の恣意的な意志ではないか。
大和民族には本来“あわい”という考え方があり、それは既に古事記の初っ端に見受けられる文化である。
どちらでもないようでどちらでもある。
そもそも白か黒か1か2かなどデジタルに考えられるものの方が稀有であり、まるで1と2の間には何もないかのように考えるほうがおかしい。
0.5は?0.24は?あるものをないかのようにラベル化するほうが権威を保てる意志の集団がこの世の中には確実にある。
アナログを推奨するわけではない。
ただ矛盾対立。
相反するものが共存することで成立するのが現実である。
“本物”と”それ以外”という概念、差別が必要なとき、必ず本物の概念を必要とする。
技か、血統か、意思か、きりがない。
“本物とは何か?”を決定付けたとして、何のためにそれが必要なのだろうか?
それは既に組織の論理となる。
存在意義の問題だ。
合氣道は組織のためにやるのか?
否。
己のためである。
健全たるのは合氣道を愛してやまない個人の集まりであるということである。
そして僭越だとしても「大先生だったらどうお考えになるだろう?」と、常に開祖とともにあることである。
本流だとか本物だとかのラベルではない。
そんなものは開祖を片時でも蔑ろに、軽んじた時点で砂上の楼閣と化す。
学問に地位や権力はあるか?決して権威ではない。
「あの人は偉い」「あの人は凄い」と言われる確たる理由は何だ。
ご年配のベテランだからか、肩書きを持つ人だからか、偉そうに振舞っているからか。
この道においてそれは重要なのか?
道統というものを持ち出したとき、その論理に組しないことで善悪2言論のようなもので片付けられるのか。
だからこそそんな“保持したい自分”の「今」を守ろうとする輩が少なからずいるのか。
そんなどこかにありそうな世の中の縮図に犠牲になる愛好家が少なからずいる。
対して権益にあずかるものもいる。まったくもって健全とは言い難い。
その”凄い”人たちは自分の合氣道人としての現状を打破すべく稽古研鑽を常に続け、そのために持て得る限りの時間を割いているのだろうか。
絶えずブレイクスルーする、ブラッシュアップするその姿勢にこそ人はついて行く。
個人というものを確立するのは他人の眼も含めた客観性だ。
陰陽である。
”他”という存在があるから相対的に”自”が浮き彫りになる。
自分が自分であることなんぞ誰だって百も承知である。
「俺は偉いんだ、凄いんだ」と自らが肩書きで武装したところで時間は前にしか進まない。
いつの日かその肩書きは外れる。
自分の存在も当然消える。
だから絶えず求道精神にのっとり自己変革をし続けない限り何も産み出せない。
世の中に何も産み出さなければ何も残らない。そんな奴は結局ゼロになる。1か0かのゼロだ。
「1以外は認めん」と言う輩の大好きなゼロだ。
そういう輩は言うのだろうか?「いや~・・・とは言っても私も何か少しぐらいは残したでしょ?」。
いや、1か0しかないなら1でない以上0だ。そんな虫のいい話はない。王道以外は邪道なのだろうから。
結局のところ、人はその取り組みや姿勢について行く。人間性について行く。しかも勝手について行く。
頼まれたからではないし頼まれたこともない。
ついて行きたいから頭を下げてついて行き、至らずともその“ついて行きたい姿勢”を見せている。
そんなある意味身勝手な未熟者を”受け入れていただいている”ということが、どれだけの価値を持つことか。
のんぶの身内でも組織の体裁や決定権に振り回された人間が少なくない。
数の理屈、組織の都合、下っ端には及びもつかない事情があるのだろうと、受け入れ、押し込めてきているようにも感じる。
もし己のために合氣道をしているのなら、そんな時考えればいい。
「大先生ならこれを“よし”とするだろうか?」
安易に考えるのであれば、「大先生に叱られないためには」どうすれば、何が一番いいだろうか。
単純明快。
「ただひたすらに合氣道を稽古していれば良い。稽古だけしていれば良い。」
我々は大先生の子である。

後日。
活字にしておけばいつか思い出すだろうと、安易に岡山で取ったメモをなんとか見返しながら視点が停まる。
何度見ても、どれだけ当時の状況を思い出しても、確かにあったはずのことなのに、まったく意味が解らない。
それは言語化しきれない技だから、という言い訳は立たず、むしろ「これだ!」と思ったがゆえにそのように書き留めたのだろう。
当然近くにいた道兄諸氏との申し合わせも手伝い、その表現に得心いった結果のはずなのだが、きっとのんぶの合氣道人生の未来が開ける決定的なキーワードな気がするのに、まったく意味が解らない。
そこにはこう記してある。

「ビグザム級(モビルアーマー)×2+1」








inserted by FC2 system